ロシア・アヴァンギャルドの重要人物であるエル・リシツキーの本「エル・リシツキー―構成者のヴィジョン」
20世紀初頭、ロシア・アヴァンギャルドの重要人物であるロシア出身のデザイナー、エル・リシツキー(本名:ラーザリ・マールコヴィチ・リシツキー)を紹介する本「エル・リシツキー―構成者のヴィジョン」
リシツキーの生涯を通して、20世紀初頭のアーツアンドクラフツからダダ、キュビスム、未来派、シュプレマティズム、シュルレアリスム、バウハウス、デ・スティル、そしてロシア構成主義などの時代背景を見ることができます。
1890年に生まれたリシツキーは、1880年ごろイギリスで始まったとされるウイリアム・モリスが主導したデザイン運動「アーツアンドクラフツ」全盛の頃にロシアで生まれます。
幼い頃から絵の才能を発揮し、13歳のころイフェダ・ペンの絵画教室に通い、19歳でアール・ヌーヴォー全盛だったドイツのダルムシュタット高等技術学校に入学し、そこで建築を学びます。
その後、第一次世界大戦とロシア革命を経験したリシツキーはヴィテプスク美術学校で教授に就任する。そこで、ロシア前衛芸術運動シュプレマティズムグループであるUNOVIS(ウノヴィス)を主導するカジミール・マレーヴィチに出会い影響を受けます。
その頃のリシツキーの作品として有名な「赤い楔で白を打て」などはマレーヴィチの影響を強く受けたプロパカンダポスターです。
マレーヴィチの2次元を主体としたシュプレマティズム(絶対主義)に影響されながらも、リシツキーは絵画と建築を複合させた3次元のプロウンシリーズと名付けられた抽象幾何学絵画とされる建築への応用を意識した作品を制作する。
その後、インダストリアル・デザインの分野に傾向していき、建築や展示空間デザインなど様々な作品を次生み出していく。それが1921年までワイマール時代のドイツのバウハウスやデ・ステイルムーブメントに多大な影響を及ぼすこととなります。